酒呑童子の右腕②
おはようございます、千尋です。最近ブログのコメントや拍手が少しずつ増えてきて嬉しい限りです(*^_^*)このブログは妖怪というかなりマニアックな題材をテーマにしているブログかつ便利なサイトを紹介するという一風変わったアフィリエイトブログでもあります。おそらくそんなブログを書いているのは僕だけではないのでしょうか(笑)これからももっと皆様に読んでいただけるような記事をかけるよう努力していきます!!
さて、前回のブログでは「茨木童子」について書きました。その上で茨木童子の名前の由来は「大阪府茨木市で生まれたから」だと説明しました。何故かと言えば、おなじみ僕が好きなゲーム「妖怪百姫たん」での設定がそうだったからということに加え、他作品の設定でもそういうものが多いからです。ところが調べてみると、どうも茨木童子の出生説にはもう一つ有力な説があるようなのです。今回のブログではそのもうひとつの出生説「越後説」について書きたいと思います。
「越後説」という名が示すように、この説では茨木童子は「越後」つまり現在の新潟の辺りで生まれた、と言われています。僕の勉強不足でしたが、どうも酒呑童子も越後で生まれたという説もあるようです。それによれば、酒呑童子は蒲原郡の砂子塚(現在の新潟県燕市砂子塚)生まれで国上寺の稚児だったが、茨木童子は古志郡の山奥の軽井沢(現在の新潟県長岡市軽井沢)の生まれであり弥彦神社に預けられていたと言われてます。酒呑童子にせよ茨木童子にせよ孤児がモデルになっている可能性もありそうですね。ちなみに、同地には酒呑童子と茨木童子が相撲を取った場所があり、茨木童子を祀る祠があるそうです。また、面白いと思ったことは、上記の地区では「茨木」姓が多く、茨木姓の家では節分に豆をまかない習わしがあり、また家の屋根に破風を作るとその家では不良が出るので作らないという言い伝えがある、という話です。茨木童子出生説が由来なのか、逆に茨木という苗字が多かったことが茨木童子出生説に繋がったのか・・・いずれにせよ、越後という土地が茨木童子に関わってそうな気がしてきますね。
そして、ここからが面白いのですが、もともとは酒呑童子も茨木童子も美男子だったというのです。そもそもこの両鬼が寺や神社送りになった理由も「美男子で知られ娘たちから沢山恋文を送られたり多くの女性に言い寄られたため、将来を案じた両親(特に母)に弥彦神社に送られた」ということらしいのです。当時の時代背景が伺えますね。ただ、この出生説は創作も入っているのでしょうが、どうもその恋文の中には「女性が自分自身の生き血を使って書いた」ものもあったようなのです・・・なんとも怖い。そして、これが悲劇を呼んでしまいます・・・
ある時、茨木童子が弥彦神社から実家に帰ると、母が行李の中に隠した「血塗の恋文」を見つけます。その血を指で一舐めするとたちどころに彼は形相が変わり鬼となり、梁をつたい破風を壊して逃げていきました。そのころ酒呑童子は、恋文の返事が来ないと悲観して死んだ娘(当時、こういった話はよくあったことのようです。時代背景なのか、あるいは現代で言うところのヤンデレなのかは定かではありませんが)のことを聞き、読まなかった恋文の入ったつづらを開けてみると異様な煙が立ち昇って気を失い、気づくと鬼へと変わり果ててしまいました。鬼になってしまった酒呑童子は寺から逃げて悪の限りを尽くすようになります。
やがて、似た境遇の両鬼は出会い、意気投合することになります。酒呑童子の家来となった茨木童子は周囲の村々を襲っていたのですが、その噂を聞いた母が、彼の幼い頃の産着を着けて茨木童子の前に立つと、茨木童子は急に子供の頃の想い出が甦ったのか「二度とこの地を踏まぬ」と約束して、酒呑童子とともに信州戸隠などを経て京へと向かったそうです。しかし、悲しい伝説でもあります。この後、京でも悪行を働いた両鬼は「源頼光とその四天王」に討伐されることになります。以前か名前をぼかしていた有名な武士たちとはこの源頼光、そして頼光四天王のことです。気付いてた方々も多いとは思いますが(笑)恐らく、次回のブログでは彼らについて取り上げることになります。まずは「源頼光」について、そして「源頼光と酒呑童子の関係」について書いていくことになるでしょう。
とはいえども今回のブログでは茨木童子について書いています。そのため、源頼光より先に「渡辺綱」の名前を出す必要が出てきます。ですが、今回は渡辺綱の説明は省き(次回以降のブログで説明します)、渡辺綱と茨木童子の関係を説明したいと思います。

この浮世絵は「渡辺綱が茨木童子の右腕を切り落とす」場面を描いたものです。というのも渡辺綱は「髭切」という名刀(とうらぶにも出てくるようです)を持っており、これが鬼を倒せる武器だったという伝説があるのです。そして、そんな伝説をもとに様々な物語が作られていきます。当然、鬼を切った、というのは創作の可能性が高いでしょうし、ある程度の脚色はあるでしょう。しかし、それを踏まえても多くの人間が知らないことがあります。
それは「そもそも渡辺綱が茨木童子を切ったという言い伝えは、なかった」ということです。では、何故上記のような浮世絵があるのでしょうか?
実は、元々渡辺綱が右腕を切り落とした鬼は羅生門の鬼だったそうなのです。ところが、後世で物語が作られていくにつれ、渡辺綱が頼光四天王として有名であったこと、酒呑童子を倒した頼光のイメージが強すぎたため、いつの間にか「渡辺綱が茨木童子の右腕を切り落とした」という物語が作られ、それが浸透してしまったようなのです。一説には、羅生門の鬼と茨木童子は同じ鬼とも言われていますがこの説はあまり肯定されていないようです。
そして、この認識は「妖怪百姫たん」でも同様であり、作中では茨木童子が渡辺綱に右腕を切られた設定になっています。といっても両者は憎み合っているというよりライバル関係のような感じですが(笑)こういう伝説は様々な説が多く、どれが正しいのかを特定するのは困難ですし、様々な説を楽しむ方がいいのかもしれないですね!!
ところでこういった知識を得るには、書籍を読んだりネットで調べるのが一番です。今回は便利な書籍のサイトを紹介します。




このように、一つは多くの書籍が揃っている電子書籍のサイトです。多くの本を読みやすいという点ではやはり電子書籍は便利です。そして、もう一つのサイトが「復刊ドットコム」というサイトで、絶版になった本を復刊させるサイトです。というのも妖怪に限らず、歴史や酒の本を読むことが多いのですが、そういったジャンルの本には既に絶版になってしまったものが結構多いのです。そのため、こういったサイトが便利なわけです。昔の漫画を探している人なんかにもおすすめですね!!
さてさて。朝というのに長文を書いてしまいました。ここまで読んでくださった方のために、僕が昔書いた酒呑童子と茨木童子の絵を載せたいと思います(*^_^*)

・・・セーフだよな?(笑)セーフですよ・・・ね?
そ、それではここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!!
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さて、前回のブログでは「茨木童子」について書きました。その上で茨木童子の名前の由来は「大阪府茨木市で生まれたから」だと説明しました。何故かと言えば、おなじみ僕が好きなゲーム「妖怪百姫たん」での設定がそうだったからということに加え、他作品の設定でもそういうものが多いからです。ところが調べてみると、どうも茨木童子の出生説にはもう一つ有力な説があるようなのです。今回のブログではそのもうひとつの出生説「越後説」について書きたいと思います。
「越後説」という名が示すように、この説では茨木童子は「越後」つまり現在の新潟の辺りで生まれた、と言われています。僕の勉強不足でしたが、どうも酒呑童子も越後で生まれたという説もあるようです。それによれば、酒呑童子は蒲原郡の砂子塚(現在の新潟県燕市砂子塚)生まれで国上寺の稚児だったが、茨木童子は古志郡の山奥の軽井沢(現在の新潟県長岡市軽井沢)の生まれであり弥彦神社に預けられていたと言われてます。酒呑童子にせよ茨木童子にせよ孤児がモデルになっている可能性もありそうですね。ちなみに、同地には酒呑童子と茨木童子が相撲を取った場所があり、茨木童子を祀る祠があるそうです。また、面白いと思ったことは、上記の地区では「茨木」姓が多く、茨木姓の家では節分に豆をまかない習わしがあり、また家の屋根に破風を作るとその家では不良が出るので作らないという言い伝えがある、という話です。茨木童子出生説が由来なのか、逆に茨木という苗字が多かったことが茨木童子出生説に繋がったのか・・・いずれにせよ、越後という土地が茨木童子に関わってそうな気がしてきますね。
そして、ここからが面白いのですが、もともとは酒呑童子も茨木童子も美男子だったというのです。そもそもこの両鬼が寺や神社送りになった理由も「美男子で知られ娘たちから沢山恋文を送られたり多くの女性に言い寄られたため、将来を案じた両親(特に母)に弥彦神社に送られた」ということらしいのです。当時の時代背景が伺えますね。ただ、この出生説は創作も入っているのでしょうが、どうもその恋文の中には「女性が自分自身の生き血を使って書いた」ものもあったようなのです・・・なんとも怖い。そして、これが悲劇を呼んでしまいます・・・
ある時、茨木童子が弥彦神社から実家に帰ると、母が行李の中に隠した「血塗の恋文」を見つけます。その血を指で一舐めするとたちどころに彼は形相が変わり鬼となり、梁をつたい破風を壊して逃げていきました。そのころ酒呑童子は、恋文の返事が来ないと悲観して死んだ娘(当時、こういった話はよくあったことのようです。時代背景なのか、あるいは現代で言うところのヤンデレなのかは定かではありませんが)のことを聞き、読まなかった恋文の入ったつづらを開けてみると異様な煙が立ち昇って気を失い、気づくと鬼へと変わり果ててしまいました。鬼になってしまった酒呑童子は寺から逃げて悪の限りを尽くすようになります。
やがて、似た境遇の両鬼は出会い、意気投合することになります。酒呑童子の家来となった茨木童子は周囲の村々を襲っていたのですが、その噂を聞いた母が、彼の幼い頃の産着を着けて茨木童子の前に立つと、茨木童子は急に子供の頃の想い出が甦ったのか「二度とこの地を踏まぬ」と約束して、酒呑童子とともに信州戸隠などを経て京へと向かったそうです。しかし、悲しい伝説でもあります。この後、京でも悪行を働いた両鬼は「源頼光とその四天王」に討伐されることになります。以前か名前をぼかしていた有名な武士たちとはこの源頼光、そして頼光四天王のことです。気付いてた方々も多いとは思いますが(笑)恐らく、次回のブログでは彼らについて取り上げることになります。まずは「源頼光」について、そして「源頼光と酒呑童子の関係」について書いていくことになるでしょう。
とはいえども今回のブログでは茨木童子について書いています。そのため、源頼光より先に「渡辺綱」の名前を出す必要が出てきます。ですが、今回は渡辺綱の説明は省き(次回以降のブログで説明します)、渡辺綱と茨木童子の関係を説明したいと思います。

この浮世絵は「渡辺綱が茨木童子の右腕を切り落とす」場面を描いたものです。というのも渡辺綱は「髭切」という名刀(とうらぶにも出てくるようです)を持っており、これが鬼を倒せる武器だったという伝説があるのです。そして、そんな伝説をもとに様々な物語が作られていきます。当然、鬼を切った、というのは創作の可能性が高いでしょうし、ある程度の脚色はあるでしょう。しかし、それを踏まえても多くの人間が知らないことがあります。
それは「そもそも渡辺綱が茨木童子を切ったという言い伝えは、なかった」ということです。では、何故上記のような浮世絵があるのでしょうか?
実は、元々渡辺綱が右腕を切り落とした鬼は羅生門の鬼だったそうなのです。ところが、後世で物語が作られていくにつれ、渡辺綱が頼光四天王として有名であったこと、酒呑童子を倒した頼光のイメージが強すぎたため、いつの間にか「渡辺綱が茨木童子の右腕を切り落とした」という物語が作られ、それが浸透してしまったようなのです。一説には、羅生門の鬼と茨木童子は同じ鬼とも言われていますがこの説はあまり肯定されていないようです。
そして、この認識は「妖怪百姫たん」でも同様であり、作中では茨木童子が渡辺綱に右腕を切られた設定になっています。といっても両者は憎み合っているというよりライバル関係のような感じですが(笑)こういう伝説は様々な説が多く、どれが正しいのかを特定するのは困難ですし、様々な説を楽しむ方がいいのかもしれないですね!!
ところでこういった知識を得るには、書籍を読んだりネットで調べるのが一番です。今回は便利な書籍のサイトを紹介します。


このように、一つは多くの書籍が揃っている電子書籍のサイトです。多くの本を読みやすいという点ではやはり電子書籍は便利です。そして、もう一つのサイトが「復刊ドットコム」というサイトで、絶版になった本を復刊させるサイトです。というのも妖怪に限らず、歴史や酒の本を読むことが多いのですが、そういったジャンルの本には既に絶版になってしまったものが結構多いのです。そのため、こういったサイトが便利なわけです。昔の漫画を探している人なんかにもおすすめですね!!
さてさて。朝というのに長文を書いてしまいました。ここまで読んでくださった方のために、僕が昔書いた酒呑童子と茨木童子の絵を載せたいと思います(*^_^*)

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